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先生と、親の言うことは、違ってよい。

日本は 天才を生まないように、人を幸せにしないように、足を引っ張る国。

出る杭は打たれ、人と違うことを許さない、上下関係が絶対の国だから当然だ。

むかし息子の授業参観受けて とても考えさせられたことがあった。
それは道徳の授業だった。
子供と保護者に配られたプリントは  子ども野球の試合で失敗した男の子の話だった。

彼は練習試合で打席に立った時、監督の送りバントをしろと言う指示を無視して、自分は打てる!という気持ちを優先しバットを振りホームランを打ってチームを勝利させた。が、試合後の反省会で怒られてしまう。
〝監督の指示を聞かないで勝手なことをした〟からだ。 その罰に彼は次の試合には出させて貰えなかった。
という内容。

どうですか。これを道徳の授業でどう扱うと思いますか。
そして子どもたちはどんな反応をしたと思いますか。

     私は 自分の目と力を信じてホームランを打った主人公はこのイチローの言葉を体現していて素晴らしいと思い その彼の判断に罰を与えた監督はクソだと思ったんですよね。
監督の指示を無視しチームを乱してはいけない、とか言ってるけど単に監督の力不足じゃない?主人公の判断で負けたなら怒るのもいいでしょうが、彼の判断が正しかった。そういった事ができるのが才能であり その才能を見つけるのが指導者の役割では?もしこれがイチローのような天才プレイヤーの自伝の抜粋なら、この描写は彼の才能の素晴らしさ 自分で判断し行動できることの大切さを 描いてる箇所だろ? ただ監督の指示を無視したから罰するって大人気ないし、指示待ち人間作ってるし、上の指示絶対!って上下関係が組織の衰退の原因では?それとも
子ども野球とはそもそも上下関係絶対の組織に適した人間を教育する目的で存在するのか?だとしたら この流れは納得できるな……

などとまあ、大人ですら色々と面白い議論になりそうな話でほおほお!と授業を聴いていたのですが、驚きました。
その道徳の授業ではこの話を まんま「チームを乱してはいけない、上の言うことをきくように」ってところに着地させたのだった。

マジかー……

いや、正確に言うと 先生はその結論を自分からは言わない。
が、意見を求められた子どもたちはほぼ全員が「チームを乱してはいけない、監督の指示を聞かないの主人公はダメだ、そういった事はしないようにしたいと思う」といったたぐいの意見を言い、それを黒板に書き連ね、そのまま結論として授業を終えたのだから、恐らく指導としてはそこに話を持っていくのが正解だったのだろう。
お利口さんな子どもほど、大人の求める答えをきちんと察して発するもの。確かにここでは反対意見は言い難いだろうな 言わないだけでブーイングや反対意見もあるだろう とは思っていた。

がしかし、その授業参観の数日後に配布されたプリントにある生徒達感想は 90%が
「主人公は勝手なことをした、わたしはしないようにしたい」
といったお利口さんな類のもので
唯一、
「試合に勝てたんやから別にいいやんと思った」と書いてあったものは、私の息子のものでした。

わはははは!これこそ中学生男子の正直な意見だろ!

わたしは 自分ちの普通が 社会の普通ではないことを自覚しているので、常々 「先生の意見とお母さんの意見は違う。違ってるけどどっちもあり。どっちも間違いじゃない。」「大人の言うことはみんな違う、色々きいてどれが良いか自分で考えて。」と言ってきた。

  このまま 自分で考えて判断し 行動できる大人になって欲しい。なぜなら、たとえイチローのような天才でなくとも、自分がそうやって 子どものころから先生やクラスメイトや 親や いろんな人と意見でぶつかり戦い 今 大切な人達や納得いく幸せを手に入れたからです。

まわりキョロキョロして目立たずお利口さんでいるのは、目立って攻撃されるより足引っ張られてるってことも、あるんだぜ!

幸せになろうなー!!